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『殉愛』の百田尚樹もさくらに騙されていたのか?共謀作(策)か?

百田尚樹さんの『殉愛』に、疑惑が浮上しています。やしきたかじんの妻・さくらさんが、なんと同時期に年下のイタリア人と結婚していたというものです。

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image3 疑惑のきっかけは、一般男性のブログのコメント欄に、イタリア在住と称する人物が、『さくらさんは年下のイタリア人と結婚していました。今は削除されていますが、 都会っ子イタリアに嫁ぐというような名前のブログをやっていました。』と投稿。これを受けて「2ちゃんねる」では情報収集が行われ、”さくらさんと思しき人物”のブログを発見したのでした。

 

そのブログとは、NOAHなる人物が開設していた「都会っ子、イタリア・カントリーサイドに嫁ぐ」(すでに削除済み)というもの。ブログ上の説明によれば、以下のような内容のブログです。

 

〈シャネルとバーキンをこよなく愛し、高層マンション、タクシーの完全都会っ子生活から一転、恋した相手はイタリア・田舎っ子の彼・・・。 慣れないカントリーサイドで国際結婚ブログ。〉
〈完全都会育ちのOLが、惚れてしまった弱み・・・愛犬さーちゃんと共にはるばるイタリアの田舎町までやってきてしまいました。日本での快適な都会生活から離れ、毎日慣れないイタリア語、初めての”田舎生活”、ハニーのおかしな両親と弟との同居、近所の親戚など大家族に囲まれ、一喜一憂・奮闘しながら生活しています〉

 

たしかに、『殉愛』でも、さくら夫人がイタリアに残してきた愛犬のミニチュア・ダックスフンドの名前は「さーちゃん」と記載されている。しかも、『殉愛』では、たかじんとさくらさんは互いを「ハニー」と呼び合っているが、このブログ主もイタリア人の夫を「ハニー」と呼んでいる。そして、ブログやリンク先で掲載されているブログ主の顔は、さくらさんとそっくりです。

 

このブログ主は、さくらさんと考えて間違いないでしょう。

 

また、彼女がイタリア人男性と結婚していたというのも事実のようだ。2010年4月14日のブログにはこうある。

〈さてさて、あたしたちはカトリック教徒として、結婚前に「フィアンセコース」なるものを他のカップルたちと受けたんです。「離婚」が良しとされていないので、事実婚が多いのもイタリア。それでも結婚するのだから、失敗がないように・・・結婚とは何ぞや?っていう勉強をドン(牧師)とします。〉

 

百田尚樹の『殉愛』には、当時、さくらさんにはイタリア人の親しい男性がいたとは書かれていたが、その関係は「恋人未満」「(恋人とは)違います」と記述。ところが、実際は既婚者だったのです。

 

こうした指摘に対して、百田さんはツイッターで反論しました。

「ネット上で、たかじんさんの妻の経歴をほじくりかえして、鬼の首を取ったようにわめいているヤカラが大勢いるが、過去がどうだと言うのだ。いたって普通の経歴にすぎない。犯罪を犯したわけでもない私人の経歴を暴き立てて非難するのは実に低俗な行為だと思う。」

 

この反論はおかしいですよね経歴をしてきされているのではなく、なぜそれを隠し、独身を装っていたのか。百田は『殉愛』のあとがきで「この物語はすべて事実である」と書いているのか?

 

さくらさんはただ結婚歴があるだけではない。たかじんからのプロポーズを受け、つきあっていた時点でも、まだ結婚をしたままだった可能性がある。疑惑のブログをチェックしても、イタリア人の夫と離婚したという話は出ていないようです。

 

そのイタリア人の夫のTwitterも2ちゃんねるで発掘されており、12年1月22日には、「2 days: longest period without talking with my wife :()」(2日間、こんなに妻と話せてないなんてはじめてだ)とツイート。

 

そこから2か月経った3月15日の時点でも、「far from my wife and I am going crazy. Maybe it’s time to think how to get out this situation. Move to Japan?」(妻と離ればなれで気が狂いそう。この状況をなんとか考えないと。日本に引っ越しするかな)とつぶやくなど、離婚どころか、日本で起きていることに気がついていない様子でした。

 

しかも、『殉愛』を読む限りでは、その後、彼女がたかじんさんと入籍するまで、イタリアに渡った形跡はない。そんなところからネットでは「重婚じゃないか」という疑惑まで噴出しているようです。

 

百田さんは『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に出演した際、こう話したことがある。

「ノンフィクション作家は、うまいことウソ入れる。わたしも、ノンフィクション書くとき、平気でいっぱいウソ入れてます。ほんまにそのまま書いたら、おもろない」

 

百田さん嘘ばっかりはいけませんよ。

   

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百田とさくらの出会い

さくらさんはたかじんさんの大阪リーガロイヤルホテルで盛大に開かれた『お別れ会』で百田さんに声を掛けました。

理由は、たかじんさんが百田さんの作品が好きだったからのようです。そこで百田さんに後日、外で二人で会うことを持ちかけ、過去のたかじんさんとの話をし二人で本を出版することを決めたのでした。

この会の 発起人は、安倍晋三総理、ビートたけし、秋元康、橋下徹元大阪市長といったそうそうたるメンバーに加え、在阪のテレビ局6社も名を連ねた。司会も関西を代表する辛坊治郎、宮根誠司、山本浩之が勤めるといった豪華さでした。会は二部構成で、お昼から始まった一部には一般客3700人が、夕方からの二部には発起人ら関係者約600人が集まったそうです。

会場では、昨年10月にハワイのコンドミニアムでたかじんさんが自身の曲『順子』を新しい奥さんの名前『さくら』に変えて熱唱した歌声と映像が流され、さくらさんに宛てた手紙も披露された。手紙には「何万語、何億語、言葉を探しても出てくる言葉は“さくら、ありがとう”。こんな苦難な1年をぼく以上に乗り越えてくれて戦ってくれて、ぼくにとって心の支えになってくれて、本当にありがとう」と、献身的に付き添ったさくらさんに対する感謝の言葉がつづられていた。この言葉に会場中の多くの友人が涙し、これもたかじんさんの人脈ともって生まれた面倒見のよさの表れだ、と誰もが思っていました。

しかし、この賑やかで派手な「お別れ会」の裏では、取材規制がおこなわれていた。報道各社の取材用カメラを会場に入れず、会場内には代表カメラが1台だけ。これは全てさくらさんの指図だったようです。

会場に入れなかったワイドショークルーは、会場の外でゲストを待つことになりました。何処かのスタッフが言った。「会場に入れないなら、近くの部屋を借りて、順番にゲストのコメントを取りましょう」と。だがこの提案も、さくらさんの一言で却下された。あくまでも“プライベートなこと”が断られた理由だという。その結果、取材記者はホテルの外に出されることとなった。

ホテルは出入口も多く、外では取材がしづらい。取材クルーを出すテレビ局と出さないテレビ局に分かれた。これではたかじんさんの“派手にやってほしい”という遺志に沿わない結果でした。

その後さくらさんの周辺からは、たかじんさんの権利関係の話ばかりが流れてくる。「歌唱シーンを使おうものなら、分単位で結構な額の映像使用料を請求されてしまう」(テレビ局スタッフ)。加えて、さくらさんは偲ぶ会の会場では「私の顔は写ってないでしょうね。写っている写真は使わせない」と、かなり激しくメディアに抗議していたのでした。

さらに、さくらさんはたかじんさんの母・光子さんとは折り合いが悪かった。その証拠に、たかじんさんの死を母に知らせたのは荼毘にふした後だったという。たかじんさんが亡くなってさくらさんは、たかじんさんの財産、資産、権利を守るため新会社「Office TAKAJIN」を設立した。

親族の戦が火蓋を切るのではないでしょうか?

  

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『殉愛』の評価は?

この本は、百田さんの作家としての評価を下げただけの本となっているようです。

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